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音楽理論における科学的根拠パート4 [音楽理論における科学的根拠]

テーマがひとつ戻ってしまいますが「音楽理論における科学的根拠」の補足です。

1オクターブに音が12個というのはギリシャではピタゴラスが一弦琴、中国では京房が管楽器を使い見つけられたといいますが、これは科学的というか物理的な考えからきています。

ここでは例として弓を使い、ある音に対し同音よりきれいに響く音程をみつけるという作業から始めたいと思います。
弓に「ド」の音が出る糸が張ってあるとします。
同音程はもちろん同じ長さの糸が張ってある弓です。
糸の長さを半分(1/2)にするとオクターブ高い「ド」の音が出ます。(振動数が2倍)
次に糸の長さを1/3にするとします。(振動数が3倍)
これが「ソ」の音となり同音、オクターブの次にきれいに響く音程となります。

これは完全に科学的というか物理的な考えからきているので「音楽理論における科学的根拠」の1つに当てはまると思います。
前のブログで音の物理的性質として「倍音列」というものを紹介しましたが、この「倍音列」でいうと第1倍音~第4倍音が該当します。

さらに弓の作業を続けます。
次に、この「ソ」の音の同音、オクターブの次にきれいに響く音程をみつけます。
弓がすごく小さくなっていってイメージしづらいかも知れませんが、倍の長さも同じ「ソ」の音です。
「ソ」の音の1/3の長さの弓は「レ」の音となります。

これを12回繰り返した時に元の「ド」と大体同じかな?という音になります。
ここから12音という数が出てきています。

大体同じかな?というのがミソなんですが実はずれていたんですね。

このずれているのがピタゴラスコンマと呼ばれていて、その後平均律やら純正率やら様々な音律が出てきてしまう正体です。
(個人的にはこのピタゴラスコンマに人が音楽で感動する正体があるのでは?と考えています。)

12というと時計の針、1年の月数も12ですし何か神秘的な数、いかにも音楽と科学を結びつけるようなイメージが出来そうですが、
ずれているものを採用しているということは、科学的根拠の無い12という音を使っていると言えると思います。


また違う観点からですが、以前のブログで「倍音列」の第1倍音~第7倍音までの音は
ド→ド→ソ→ド→ミ→ソ→(シ♭)
となっていて、コードでいうと7thコードとなるという点に際し、
クラシック界では緊張を表し、悪魔の音程(三全音、トライトーン)を含むコードが実はひとつの音を出した際に既に鳴っている、
ということを紹介しましたが、このことに気づいた際二人の人物のある説が浮かびました。
ダーウィンの進化論とコペルニクスの地動説です。
今では一般的になっていますが、発表当時は大きな批判・反論があったといいます。
これと、倍音列という自然現象の中に聴かれる7thコードを悪魔の音程と位置付けるイメージが重なったんですね。

倍音列の「ファ#」を人工的に「ファ」としている点も含め、私は音楽というものを
音楽はキリスト文明の国ヨーロッパによって体制付けられた文化であり、自然に発生するものではなく、まさしく人が創造する芸術
とする結論に至った次第です。

「音楽理論における科学的根拠」というテーマはかなり長くなってしまいましたが、結論からすると根拠とするものはあまりないということが言えると思います。
あるとすれば、

1.同音程、オクターブの次にきれいに響く音は完全5度。
 (弓の長さ、第1倍音~第4倍音)

2.第1倍音~第6倍音までの音(ドミソ)をきれいに響く協和音としそれをトニックに置く。
 (マイナーキーというのはメジャーキーからあくまで派生的に出てきたものと個人的に位置付けています。)

3.縦のつながり(コード)は5度音程を基礎とし、横のつながり(コード進行)はその展開音程の4度を取ると聴きやすい進行となる。
 (4度進行(ツーファイブなど))

4.スケールの成り立ちも完全5度を組み合わせて作られている。

この程度かと思います。
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音楽理論における科学的根拠パート3 [音楽理論における科学的根拠]

前回は、ジョージ・ラッセルという人の発言
「従来のドレミファソラシドを基にしている音楽理論は間違い」
という所で終わっていました。

では彼は何が正解だと言っているのでしょう?それは、
「ドレミファ#ソラシド」(=リディアンスケール)
を基にすべきと言っています。

ジョージ・ラッセルはある実験をしています。
実験の内容は、曲の最後のコードが
「ドミソシレファラド」で終わった場合と、
「ドミソシレファ#ラド」で終わった場合、どちらの方が一体感があるか?終止感があるか?との内容でした。
結果は「ドミソシレファ#ラド」の方に多くの人が一体感がある、終止感があると選択したとのことです。

でもこれって、音楽理論を勉強された方ならお分かりでしょうが比較対象がおかしいです。
「従来のドレミファソラシドを基にしている音楽理論」では、
「ドミソシレファラド」の「ファ」は他の音と一体感が保てない為、使ってはいけないことになっています。

他の比較の例をあげます。
「ドレミファソラシド」を基にしたもので大変多く、非常にポピュラーな曲の終わり方に次の様なコード進行があります。

Dm7→G7→C(もしくはF→G7→C)

この度数関係をジョージ・ラッセルのいう「ドレミファ#ソラシド」ですると次の様になります。

D7→GM7→CM7

これまで聴いてきた音楽の影響(耳の記憶)から来る部分ももちろんあるとは思いますが、それがなくても最終トニックのCM7より2つ目のGM7のコードに対し多くの人が終止感(中心感)を感じるのではないかと個人的に思います。

また、「リディアンスケールは調性引力の基本単位5度がトニックから6つ積み重ねられたもので、メジャースケールより優れている」とも言っています。
これに対しては、リディアンスケールは逆にトニックへ5度で進む音が欠けている、という点が欠点というか弱点になっている様にも思います。

「ドレミファソラシド」=(メジャースケール)は、テトラコルドという音構成からもみてもバランスが取れています。
ド--レ--ミ--ファ|ソ--ラ--シ--ド
 (全音 全音 半音)    (全音 全音 半音)

それと「ファ」と「ファ#」の選択に際し「倍音列」を引き合いに出している意見もみられます。
倍音列というのは音の性質で、あるひとつの音=基音を出した際にその整数倍の音が順に出てくるという物理現象です。
(中学の物理の教科書にも出てきていたかと思います。)

単純な例を挙げれば、ある音=基音が100Hzだった場合だと、
100Hz→200Hz→300Hz→400Hz→500Hz→・・・
と、どんどん音量が小さくなって高い音が出てくる現象です。

ある音がドだった場合は次のようになります。

ド→ド→ソ→ド→ミ→ソ→(シ♭)→ド→レ→ミ→(ファ#)→ソ→(ラ♭)→(シ♭)→シ→ド
()は近似音
ピアノでペダルを踏みながら、それぞれの音をすごく軽く弾いていく(というより開いていく感覚)ととてもよく分かります。

そうです!ある音が鳴った際に、その上に微かに聴こえる音は「ドレミファソラシド」ではないのです!
「ドレミファ#ソラ♭シ♭シド」が鳴っています。

ちょっと話が脱線しますが、第1倍音~第7倍音までの音を確認すると
ド→ド→ソ→ド→ミ→ソ→(シ♭)
となっていて、コードでいうと7thコード。
そう、クラシック界では緊張を表し、悪魔の音程を含むコードが実はひとつの音を出した際に既になっている、という点が興味深いです。

この倍音列の影響からか、よく「ファ」の音は人工的だと言われます。
確かに倍音列でみると「ファ#」は11番目に出てきて、「ファ」の音は一般的に見る倍音列の16番目を超えて21番目(-29セント)まで出てきません。

このような点からも「ファ」ではなく「ファ#」を選択した方がより自然的(科学的)との意見もあるようですが、でもなぜ人工的ではいけないのでしょうか?
そこで今回のテーマ「音楽理論における科学的根拠」1回目に登場したアレクサンダー・ジョン・エリスの言葉に戻るわけです。
「音楽は自然なものではなく非常に人為的なもの」と。

音楽理論というのは、もっとシンプルなものだと個人的には思います。個人的な独自の理論で、あれほど長い理論になるのも理解しがたいです(濱瀬元彦さんの本なども)。

マイルス・デイヴィスがモード・ジャズを築くきっかけになったとか、この本の影響で武満徹が「地平線のドーリア」という曲を書くきっかけになったなどエピソードはありますが、この本以前に教会旋法は存在しています。

リディアンスケールあるいはドリアンを基に曲を作るという考えはとても素晴らしいと思います。
(マイルスの「カインド・オブ・ブルー」は大好きなアルバムです。)

私はここで、リディアンスケールよりもメジャースケールの方が優れている、などということを主張しているわけではありません。
リディアンスケールを基に、音楽理論を組み立てることも決して間違いではないと思います。
ただ、「300年近く受け継がれている音楽理論が間違っている」「リディアンスケールはメジャースケールより優れている」
とジョージ・ラッセルがいうのであれば、もう少し具体的な対比が欲しかったと感じます。
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音楽理論における科学的根拠パート2 [音楽理論における科学的根拠]

こんばんわ!
今日は音楽理論における科学的根拠パート2です。

一時期、音楽理論の勉強にはまっていた時期がありました(音楽学校卒業後も・・・)。
そこで常々思っていたのが、本によって書かれていることが違う点です。
ある本ではこれはOK!で、同じ音使いに対し違う本ではNG!とか・・・(特に対位法関係で多いです。)

もーどっちが本当なのーー!?と・・・

そこで私は、それを裏付けする科学的根拠が分かればどっちが正しいか、正解がわかるのではないか?と考えました。

でも結局行き着いた結論は、音楽理論において間違いなどというものはない、ということでした。
正しい音楽、間違いな音楽など存在しないことと同様に、それを定義付ける音楽理論においても不正解などないという考えに行き着きました。
(あくまで個人的な考えです。あと科学的根拠という物に関しては全くない訳ではないです、こと倍音列などをもとにした考えでは。)

にも関わらず、とんでもないことを言っている人がいます。
アメリカの作曲家、ジョージ・ラッセルという人はこんなこと言っちゃってます。

「従来のドレミファソラシドを基にしている音楽理論は間違い」だと。

確かに「間違い」と書いてありました!
日本語訳を読んだだけなので英語ではニュアンスが違うのかもしれませんが・・・ただ「間違い」って・・・。

その方は独自な考えをもとに、けっこう厚目な音楽理論書を書いているのですが、自分が書いた理論が正解で他の理論書は全部間違いと言いたいのでしょうか?

私は彼の理論の内容以前に、考え方自体がそもそも間違っていると言いたいです。

少し熱くなってしまいましたw
次回は、このジョージ・ラッセルって人の本の内容の面について、具体的な音名などを交え激しく批判していきたいと思いますw
ありがとうございました!
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音楽理論における科学的根拠?? [音楽理論における科学的根拠]

こんばんわ!
早速ですが本日のテーマ「 音楽理論における科学的根拠 」ということに関して私は、半年くらい真剣に考えていた時期があります。
音楽好きな人でも全く興味ない人が多いでしょうがw

最初に過去の偉人達の発言をご紹介させて頂ければと思います。
まずは、イギリスの民族音楽研究家のアレクサンダー・ジョン・エリスはこう言っています。

「音楽は自然なものではなく非常に人為的なもの。」

次に、クラシック音楽の作曲家のバルトークはこう言っています。

「作曲は自然に規範を仰ぐものだ。」

「民謡もまた1つの自然の現象であり、その構成は花や動物等の生きた有機体と同じように、自然に発展したもの。」

「楽曲の小節数×0.618の箇所にある種のクライマックスが来る。」

などです。
で自分の考えはアレクサンダー・ジョン・エリスに近く、こう結論付けました。

音楽はキリスト文明の国ヨーロッパによって体制付けられた文化であり、
自然に発生するものではなく、まさしく人が創造する芸術

です。ただこれは、いわゆるクラシックの古典派時代、音楽大学などで基本的に習う音楽理論の範囲においてです。

よって日本の雅楽、インドの音楽などは違うかも知れません。より自然的に作られている部分も多いかと思います。
例えばインド音楽で使われるラーガ(一種のスケールのような物)は、演奏する時間が早朝か深夜かはたまた日没の時間か、また季節は。その時の感情は?などという点において細かく体系付けられています。


バルトークの考えが間違いなどと言っているわけではないです。
バルトークはこういう発言をしたから、こういう考えに基づいて音楽を作っていたから、今でも音楽の教科書にのるような偉人になっているのでしょうし・・・。
(個人的にはバルトークの音楽はあまり好みではないですが・・・。)

そもそも音楽理論において、間違いなどというものはないと個人的には考えています。

にも関わらず、とんでもないことを言っている人がいます。

アメリカのジョージ・ラッセルという人なんですが・・・
続きは次回にでも。ありがとうございました!
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