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音楽理論における科学的根拠パート3 [音楽理論における科学的根拠]

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前回は、ジョージ・ラッセルという人の発言
「従来のドレミファソラシドを基にしている音楽理論は間違い」
という所で終わっていました。

では彼は何が正解だと言っているのでしょう?それは、
「ドレミファ#ソラシド」(=リディアンスケール)
を基にすべきと言っています。

ジョージ・ラッセルはある実験をしています。
実験の内容は、曲の最後のコードが
「ドミソシレファラド」で終わった場合と、
「ドミソシレファ#ラド」で終わった場合、どちらの方が一体感があるか?終止感があるか?との内容でした。
結果は「ドミソシレファ#ラド」の方に多くの人が一体感がある、終止感があると選択したとのことです。

でもこれって、音楽理論を勉強された方ならお分かりでしょうが比較対象がおかしいです。
「従来のドレミファソラシドを基にしている音楽理論」では、
「ドミソシレファラド」の「ファ」は他の音と一体感が保てない為、使ってはいけないことになっています。

他の比較の例をあげます。
「ドレミファソラシド」を基にしたもので大変多く、非常にポピュラーな曲の終わり方に次の様なコード進行があります。

Dm7→G7→C(もしくはF→G7→C)

この度数関係をジョージ・ラッセルのいう「ドレミファ#ソラシド」ですると次の様になります。

D7→GM7→CM7

これまで聴いてきた音楽の影響(耳の記憶)から来る部分ももちろんあるとは思いますが、それがなくても最終トニックのCM7より2つ目のGM7のコードに対し多くの人が終止感(中心感)を感じるのではないかと個人的に思います。

また、「リディアンスケールは調性引力の基本単位5度がトニックから6つ積み重ねられたもので、メジャースケールより優れている」とも言っています。
これに対しては、リディアンスケールは逆にトニックへ5度で進む音が欠けている、という点が欠点というか弱点になっている様にも思います。

「ドレミファソラシド」=(メジャースケール)は、テトラコルドという音構成からもみてもバランスが取れています。
ド--レ--ミ--ファ|ソ--ラ--シ--ド
 (全音 全音 半音)    (全音 全音 半音)

それと「ファ」と「ファ#」の選択に際し「倍音列」を引き合いに出している意見もみられます。
倍音列というのは音の性質で、あるひとつの音=基音を出した際にその整数倍の音が順に出てくるという物理現象です。
(中学の物理の教科書にも出てきていたかと思います。)

単純な例を挙げれば、ある音=基音が100Hzだった場合だと、
100Hz→200Hz→300Hz→400Hz→500Hz→・・・
と、どんどん音量が小さくなって高い音が出てくる現象です。

ある音がドだった場合は次のようになります。

ド→ド→ソ→ド→ミ→ソ→(シ♭)→ド→レ→ミ→(ファ#)→ソ→(ラ♭)→(シ♭)→シ→ド
()は近似音
ピアノでペダルを踏みながら、それぞれの音をすごく軽く弾いていく(というより開いていく感覚)ととてもよく分かります。

そうです!ある音が鳴った際に、その上に微かに聴こえる音は「ドレミファソラシド」ではないのです!
「ドレミファ#ソラ♭シ♭シド」が鳴っています。

ちょっと話が脱線しますが、第1倍音~第7倍音までの音を確認すると
ド→ド→ソ→ド→ミ→ソ→(シ♭)
となっていて、コードでいうと7thコード。
そう、クラシック界では緊張を表し、悪魔の音程を含むコードが実はひとつの音を出した際に既になっている、という点が興味深いです。

この倍音列の影響からか、よく「ファ」の音は人工的だと言われます。
確かに倍音列でみると「ファ#」は11番目に出てきて、「ファ」の音は一般的に見る倍音列の16番目を超えて21番目(-29セント)まで出てきません。

このような点からも「ファ」ではなく「ファ#」を選択した方がより自然的(科学的)との意見もあるようですが、でもなぜ人工的ではいけないのでしょうか?
そこで今回のテーマ「音楽理論における科学的根拠」1回目に登場したアレクサンダー・ジョン・エリスの言葉に戻るわけです。
「音楽は自然なものではなく非常に人為的なもの」と。

音楽理論というのは、もっとシンプルなものだと個人的には思います。個人的な独自の理論で、あれほど長い理論になるのも理解しがたいです(濱瀬元彦さんの本なども)。

マイルス・デイヴィスがモード・ジャズを築くきっかけになったとか、この本の影響で武満徹が「地平線のドーリア」という曲を書くきっかけになったなどエピソードはありますが、この本以前に教会旋法は存在しています。

リディアンスケールあるいはドリアンを基に曲を作るという考えはとても素晴らしいと思います。
(マイルスの「カインド・オブ・ブルー」は大好きなアルバムです。)

私はここで、リディアンスケールよりもメジャースケールの方が優れている、などということを主張しているわけではありません。
リディアンスケールを基に、音楽理論を組み立てることも決して間違いではないと思います。
ただ、「300年近く受け継がれている音楽理論が間違っている」「リディアンスケールはメジャースケールより優れている」
とジョージ・ラッセルがいうのであれば、もう少し具体的な対比が欲しかったと感じます。
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