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音楽理論の位置付け [音楽理論の位置付け]

音楽理論は「国語」に似ていると思います。
「国語」では、
単語があってそれを組み合わせ順序良く並べます(文法)。

これを音楽に当てはめると、
単音があって、組み合わせてコードを作り、コードを並べる(コード進行)。

で、この「国語」ですが誰も「国語」どおりにしゃべっている人などいませんね。
にこるんが国語の文法通りしゃべっていたら気持ち悪いですw というかつまらないですw

音楽理論も同じこと。誰も「音楽理論」に100%忠実に曲を作っていませんし、そんな曲はつまらないのです(←かなり大ざっぱかつ大げさに表現しています)。

国語のなかに「古典」というものがありますが時代も変われば文法、話し方なども変わってくるわけです。
日本の中だけで見ても地方の方々には「なまり」というものがありますし、海外には「英語」「フランス語」「中国語」など様々です。
これがちょうど音楽でいう「ジャンル」というものになると思います。

最初に言葉があってそこに構成、法則を見つけ「国語」が出来ているという点も似ていると思います。
音楽も最初に音(曲)があってそこに構成、法則を見つけ「音楽理論」が出来ています。
ようは「音楽理論」は様々な曲の統計を取ったにすぎません。
このコードの次はこのコードがよく使われていて、他のコードの使用がほとんど見られないから禁止にしようとか・・・
「音楽」は12個の音の順列・組み合わせでしかないですから。

で何が言いたいかというとですねw 何度か以前のブログでも言っていた
「音楽理論において間違いなどというものはない」正しい音楽、間違いな音楽など存在しないことと同様に、それを定義付ける音楽理論においても不正解などない、という点を裏付けたい訳ですねw
逆にいえば音楽理論は全て間違いで正解はひとつもない、と言ってもいいかも知れません。
その程度のものだと思います。

たまたま300年ほど前、世界の文化の中心がヨーロッパで、たまたまその時そこでクラシックという音楽が流行っていた、
との理由でクラシックおよびそれを体系付けた「音楽理論」が今日にも広がっている程度のことだと位置付けています。

世界の文化の中心が、ヨーロッパではなくインドだったとしたら、今日の「音楽理論」は全く違ったものになっていたでしょうし、日常流れている曲も全く変わっていたかも知れません。
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